縛る物があるのは良いかもしれない② | ネコ脱出主宰高倉の~✨ヒゲはアンテナ!!

縛る物があるのは良いかもしれない②

縛る物があるのは良いかもしれない②


フリーとして初めて活動を開始したのは26歳の終わり頃だったろうか、体力も有り余ってたし、何より人生初めてのフリーという肩書きにワクワクして舞台に立ちまくった


縛る物が何もないからとにかく自由に動けた、睡眠時間を削ればほぼ1日自分のやりたいことだけやれた


楽しかった


だが


楽しかったのは最初の一年だけだった


自由にやれるという事の怖さを知る事になった、フリーという立場の弱さや寂しさも痛感するようになった


簡単に言うと自由に色んな場所に行けるが『帰る場所がない』という事に気付く


今までは辛い現場に行っても帰る場所があって、そこで現場の愚痴や笑い話をする事で救われたり励まされたりして気持ちを切り換えて次に向かえた


それが


帰る場所がなくなったからストレスや寂しさを自分一人で受け止め自分一人で抱え込む事になった


フリーでやるというのはそういう事!……と頭では理解していても心に宿る不安は消せなくなっていった、一年後の自分が見えなくなった


あとオーディション等は無所属やフリーだと信用がないからめちゃ苦しい思いもしたしフリーの方はお断り、みたいな事も言われた


フリーで動くというのはとんでもない行動力と孤独や差別と戦い続ける事だと痛感した27歳


あとギャラ交渉も叩かれまくるという笑

当時はノルマ全盛期だったから手売りで50枚以上売れないフリー役者は本当に雑魚みたいな扱いを受けた、てか先方から出演依頼をしてきてるのにノルマ50枚でお願いしまーす!とサラッと当たり前の様に企画書に書かれてたりした、20代の若手フリー役者の立場だと了解するか出演を諦めるかの二択しかなかった


元々恵まれた劇団に居たから公演の度に交通費程度だがギャラを貰えてノルマもなかった場所で育ったからギャップが凄かったというのもあって悩んだ


深く考えた、あそこまで悩み考えたのは人生初だったかもしれない


結果


自分で集団を作ろうと考えた


『所属』という言葉の強さを身をもって体感した20代


集団を作り方針を決めて仲間が集い活動が始まると


『定期的な本公演』『番外的なイベント』


という形が出来る


フリーの時はこの形がなかった、自由だから次にいつ自分が人前に立てるかわからないし保証もなかった


所属が決まると少なくともこの『形』が保証されるからいわゆるレギュラー案件が決まるという事だし、(主宰をやるならこのレギュラー案件は毎年不変にしなきゃいけないので大変ではあるけどね)有り難かった。


毎回お客様に楽しんで頂くのはフリーでも所属でも同じ事だけど、次にいつ案件があるか分からないフリーの時より定期的に目標や目的があり、ノルマは特に設けず全員で頑張ろうと決めて常に『次の公演に向けて』という常態的なプロ意識を維持出来る所属という立場が自分には一番合っていたように思った


縛る物が出来るというのは煩わしい気持ちはもちろんある、それは社会でも同じだと思う、でもそれ以上に助けられる事が沢山ある


辛い現場や嫌な現場があったとしても、自分の所属集団の稽古場でメンバー達に『ねーねー聞いてよー!』と言える時間


方向性や自身の能力について悩んだ時も『今さー僕大丈夫かなぁ?おかしくなってない?』と聞ける場所


出来なかった事が数年後出来るようになった時に『おー!遂に出来たな、昔は出来なかったのに凄~い』と皆で成長を眺める関係


様々な考え方があると思うが、僕の場合は所属する場所があるから逆に思い切り外部に出れたし色々挑戦も出来た、心に支えがあるのとないのでは全然違うなぁと、20代前半迄は全く分からなかったし気付く事も出来なかった事である



残念ながらコロナによって定期的な本公演や番外的なイベントというレギュラー案件が消えるという状況になり劇団始まって以来の窮地になっている


舞台表現を生業にしている団体が舞台に立てなくなると人々から忘れられる、忘れられるというのは集団としての消滅を意味する


それでも毎月イベントしたりショールームしたりして集団が消えない様にしてくれたのはメンバーの支えがあったからこそ、これがフリーだったら完璧に無理だった、多分辞めていた


所属や集団の強さを感じれた一年だったように思う


縛る物があるのは煩わしい事もあるが良いことも沢山ある


もちろんフリーで大活躍してる人も沢山いる、自分で人間関係や仕事関係を構築して帰る場所を一杯持っている凄いフリーの方達は本当にリスペクトである!


あくまで僕の一人語りだとご理解ください


さあ


帰る場所を守る為にも、頑張って行くか!